学務・国際部教務課長
さくらんぼ東根駅近くの山形県出身。高校卒業後、昭和59年に本学で大学職員・経営学部生としてスタート。平成3年から、文部科学省高等教育局、総合研究大学院大学、国立オリンピック記念青少年総合センター、大学評価・学位授与機構を渡り歩き、平成21年に本学に復帰。平成25年より現職。趣味は長谷部勇一学長ほか先輩・同僚とのジョギング後のビール。平成27年横浜マラソン(42.195km不足?)完走。座右の銘は「適当(ほどよいこと)」。
本学には全国津々浦々から、将来の夢と大きな希望を、その一方で一人暮らしの不安を、抱えた学生が数多く集まります。あなたの大学時代は期待どおりでしたか?「大学人の先輩として今の学生を自分以上に応援したい」、その感性に期待します。
教務課長として、教育システムの改善手法や方法について、学長や執行部に学務データを持って説明にまわるなど、本学の「教育改革の旗振り役」のつもりで仕事をしてます。「一見、遊んでいると見えるときが、最も良い仕事をしている」がモットーで、何か楽しい仕事が落ちていないか常にウォッチしています。最近では、学修成果の見える化を進める学生ポートフォリオの改修経費として、政府から補助金1,500万円を獲得し、多少の汗をかきながら課内でワイワイと仕事しています。
本学の外に出ていた20年の間に、数多くの大学を見て回りましたが、本学は学部も少なくコンパクトであり、全国から良い学生が集まって来ていると感じています。本学の職員一人一人の力を結束すれば、大学は変わっていくと思いますし、平成16年の国立大学の法人化によって「国家公務員」から「大学職員」になったのはチャンスだと感じました。平成19年に、本学前学長の鈴木邦雄先生と岡山出張で教育改革を夜な夜な議論したことがきっかけとなり、平成21年に本学に復帰しましたが、実際に、復帰後すぐに「理工学部を作る」という楽しい仕事が下りてきました。
20年前には先輩上司(文部省係長)から「大学政策(行政指導)とは、アカデミックの遠く離れたところで仕事をすることだ」と厳しく叱られたものですが、現在の政府(文部科学省)の大学政策はどうでしょうか?本学キャンパス内の登録有形文化財「名教自然の碑」の前に立つと、自学自発の教育精神である三無主義(無試験、無採点、無処罰)に心を打たれます。本学の教育の原点に立ち戻って、学生自らが主体的に学びをデザインできる教育システム改革に挑んでいます。